”だりーが”って?

ども。

だりーが
初めまして、”だりーが”です。

愛媛県生まれのアラフォーのオッサンです。

人生に変化を!求めてブログ始めました。

”だりーが”の名の由来

なぜ、”だりーが”なのか?

私のしゃべり方が

「◯△□※☆〜〜!」って言う感じで語尾に【が】を付けたしゃべり方だったんですね。

そして部活終わりにつぶやいたコトバから付けられました。

だるいな
あー、終わった。疲れた・・・シンドイな・・・だるいな・・・。

次の日↓

だるいが
あー、終わった。だるいが・・・。

そして次の日↓

だるぃーが
あー、やっと終わった。だるぃーが・・・。

さらに次の日↓

だりーが
あー、終わった。今日もだりーが

COMPLETE!

【ドラゴンマウンテン】
今日からお前は”だりーが”だ!

チームメイトの【ドラゴンマウンテン】に命名されたのでした。

超ど田舎で過ごした幼少期

出身は四国。愛媛県南予地方のかなりの山奥です。

小学校の同級生は8人。当時の小学校の全校生徒は約40名ほどでした。

実家から学校までは徒歩で約2キロ。

通学途中には自然がいっぱいだから道草ばっかりでした。

時には近所の犬に追いかけ回されたり、山の中を通りながらキイチゴを食べつつ、帰ったりしてました。

2018年、そんな小学校もとうとう閉校となってしまいました。

関連記事:「ありがとう南小学校 目黒の心 忘れない」とうとう閉校の日を迎えてしまった。

物心ついた時から両親の仲が悪かった!

これは辛い思い出しかないですね。

オッサンとなった今でも両親の夫婦仲はサイアクです。

孫ができた当初は少しおとなしくなっていましたが、今でも毎日戦争状態らしいです。

そんな家庭環境だったし、かなりの田舎だったので中学校から寮生活、高校は下宿して毎日の両親の喧嘩の難を逃れてました。

両親は共働きだったので小学生の時の食事は夜遅くなることが多かったです。

母親は帰宅して疲れ果てての炊事。

他にも掃除、洗濯の家事全般をこなしてました

だからなのか?もともと料理がキライなのか?私の母親はほとんど料理をしませんでしたし、現在も惣菜を買うことが多く料理をほとんどしません。

父親は昔から酒グセ、女グセが悪く、私は大嫌いでした。

ガンコな性格もあり、母親はもちろんのこと私とも話が合いません。

孫ができてからは少し丸くなったのですが、定年退職後うつ病を発症してからはガンコさが増して言うことを聞かなくなりました。

両親の夫婦仲は今でもサイアクです。私も父親と関わりたくないのが現状です。

こうして自分の生い立ちを振り返ってみると、両親の不仲で嫌な思いをした記憶が多いですね。

大学受験での学校選びも実家からより遠くに行きたい一心でしたから・・・

社会に出るも・・・数ヶ月で退職

中学高校では運動部に所属し、文武両道を頑張った?学生生活を送りました。

当時から人見知りがハゲしかったので、友達はあまりいませんでした。

大学は理系に進みました。高校の暗黒時代を払拭しようとサークル・アルバイトにと、大学生を満喫しました。

関連記事:料理好きがバイトするなら飲食店をススメる理由

大学卒業当時は超就職氷河期!

しかし、ようやく決まった中小企業も数ヶ月で辞めてしまいました。

当時からの趣味でもあるスノーボード関係のショップに転職するも、こちらも数ヶ月で退職。

スノーボードつながりでスキー場のアルバイトをするも、雪が解けると同時に街に下山。

自分の人生の行く末に迷うも、本屋で立ち読みした資格の本から「歯科技工士」を目指すことに・・・

25歳にして専門学校生に!

再び二年間の学校生活を送って晴れて国家資格に合格し、歯科技工士として働くことになりました。

ブラックな「歯科技工士」

この業種、かなりブラックでした。

当時は毎日の睡眠時間が2〜3時間で、心身ともに疲れ果てていました。

関連記事:まだ歯科技工士で消耗してるの?歯科技工士を辞めたほうがいい3つの理由

身も心もボロボロになりながらも、地元での再起を求め林業の道に・・・

自然相手の仕事で徐々に体調も回復していきました。

地元へのUターン転職と同時に結婚し、

現在は二児の父親で地元木材をふんだんに使った家に家族四人で住んでます。

今の職種にも慣れてきたが、田舎ならではのシガラミやゆる〜い感じの仕事内容に少しマンネリ気味。

そこで『人生に変化を!』を目標に掲げてブログをはじめました。

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