日常で死を覚悟することもなければ意識することもない。

ども。

どんな災害が起きても生き残れる自信がある”だりーが”です。

なぜかしら漠然とですが、何があっても生き残れる自信があるのです。

人前では今にも死んでしまいそうなほど緊張して何も喋れないくらいの小心者なのに・・・です。

不思議と突発的な事故や病気では死なないような気がしてます。

何事もなく平穏な日常を過ごしていると、死を覚悟することなんて全然ないんですね。

またまたVocyからのネタですが【生きる】ことを改めて考えさせられました。

生きることのイメージ

死を覚悟。余命宣告されたら、どーする?

あなたは余命宣告されたらどうしますか?

考えたこともありませんよね。

健康でも事故で明日・・・いや、10分後に亡くなるかもしれない。

誰でも生まれた時から死に向かって生きています。

誰にでも必ず死は訪れます。

それを事前に宣告されてしまったら、残された時間をどうします?

どう生きます?

考えられないですよね。

日常では生と死は隣り合わせのはずなのに、生きている今が当然のように時間が過ぎます。

それが、死を宣告された瞬間からその当たり前の死を正面から受け入れなければならない。

一言で表せば残酷ですが、先にも言ったように日常で気づかないだけで誰でも死と隣り合わせなんです。

だから、死と直面するとどーしたらいいか、脳をフル回転させて考える、悩む。

なぜ自分なのか?と、何処にもぶつけようのない怒りや悲しみがこみ上げてくるのだという。

想像もつかないですよね、やはり、その状況にならないと・・・

それでも、誰でも死とは隣り合わせなんです。

突然の宣告・・・ホントどーする?って感じだよ。

宣告をイメージするハート

身近にも余命宣告されたヤツがいた

最近、近所に住んでる後輩が余命宣告を受けたんです。

末期ガンで治療するのを断念して今は自宅療養中だとか。

家族との時間を大切に過ごしている。

 

宣告された時は、それは泣きまくったらしい。

一晩、いや、三日くらい泣き通しだったとか。

それでも、いつまでも泣いてるわけにもいかず最後まで最善を尽くそうと病院を探すも、どの病院にも匙を投げられた。

 

その時はどんな思いだったんだろう?

今は何を考えて過ごしているんだろう?

 

Voicyに出てきた余命宣告された人は、

「自分のために生きる命・人生なら今すぐにでも尽きてもいい」

と思ったらしい。

そこで人のために生きる命として、SNSで自分の生き様を発信し、自分の心を素直に伝えることで他の人に何かを伝えようと行動した。

それは別にSNSで発信しなくてもいいのだが、誰かに何かをしてあげないと何も始まらないと感じたようだ。

自分が直面した逆境が自分を進化させる。

それによって得るものの方が大きいと考え行動を起こしたのだ。

ただ、逆境にくじけて落ち込むだけでは【もったいない】と考える自体がスゴイことだと思うけど。

日常では今ある平凡・平穏のありがたみに気づけない。

自分だけが悲運だと感じているのは、ただ単に気づいてないだけだという。

大なり小なりあるが誰しも愛に恵まれていて、ありがとうという気持ちを一つでも多く持って過ごすことが大事だと・・・

 

自分は何処に向かっているのだろう?

明日からどう生きようか?